幼児期に誘拐され性虐待を受け生き延びたけどなんか質問ある?…50歳のおばちゃん…愛について考える…。
★(注意)おばちゃん「コナン・エグザイル」PVP鯖について書こうと思ったのですが、他の方にペンが(指が?)走ってしまい、よくわからない独白になりました^^;
おはようございます。今朝は最後の危険物の収集日だったので、早起きをして、急いでゴミ出しだけしてきました。
実は人生の中で大きなトラブルに見舞われた事もあり、少し恐怖で夜が寝れなくなっています。
玄関前の廊下に夜等トイレで向かおうとすると、そこに何某かのオソロシイものがいて、自分を殺しに来るのでは無いかという恐怖と(馬鹿げていますが)戦いながら、生きています。
おばちゃんは幼少期(4歳の頃)誘拐された事があります。何もわからない少女でしたが、自分が殺されるかもしれない事はちゃんとわかっていました。私がその知らない相手に手を引かれて連れて行かれそうになった時、大通りが見えました。車がたくさん走っていて、母親にいつも危ないから近づかないようにね。と言われていた大通りです。
あそこまで走ったら…。相手は中学生か高校生の兄弟でした、一人はどう見ても知恵遅れのある人で、そしてもうひとりが普通でした。彼らは私を草むらの上に横たえ、私に性的加害をしました。
パンツを降ろされた瞬間に小さな短いスカートがどうしようもなくひどく心もとないものだという事を知りました。他人にそんな所を見られて、そして
「兄さんこんな所に穴があるよ!」
と言われた瞬間の驚きは隠せませんでした。自分でも自分の身体のそんな所に穴があるなんて知らなかったからです。
その後彼らは私を引き連れひと目の及ばない(当時は未開発の)草むらの中を徘徊し、めぼしい所を見つけると再度同じ事をしようと言い出し、私に草むらの上に横たわるように言いました。
4歳の私でもそれが気持ちが悪い事で、本当に嫌で尊厳を著しく損なわれる事だという事は前回された事でわかりました。私は逃げたかった。
お母さんに言われたあの大通り迄走ろうかと一瞬頭をよぎりました。今この掴まれている手を振りほどいてあそこまで走れれば、誰かに助けを乞うことが出来れば!そう思って通りを見て、この私を引き連れまわし続ける二人の男の身体的特徴を見ました。
一人は知恵遅れです。私の方が走ったら早そう。
しかしその時もうひとりが私のその行動に気づいたのか、学生服のポケットから、ナイフを取り出して私に無言で見せたのです。
それがどうゆう事か、何を意味しているのか、子供の私にもわかったのです。
私は生きる為に
一つの選択をせざるをえませんでした。
私は生きる為に彼らの理不尽で著しく私のプライドと私の尊厳を損なうその行為に自分から参加しなければならなかったのです!
それは本当に苦しい出来事でした。
でも人の上にこうやって何の理由もなく理不尽に「死」や「死に近い闇」はいつでも訪れるという事です。私は4歳のその時の記憶を27年間封印していたらしいです。
ある日の電車に乗っている時に窓の外にその時連れ回された草原のような景色を見て突然涙が止まらなくなり、そして、病院に行きました。
そこで「心的外傷後ストレス障害」を指摘されました。そして、27年間の記憶の封印に関しては、
「乖離性遁走・乖離性健忘・乖離性人格障害」
の可能性を示唆され、(後に診断され)母親にその話をしました。人間は記憶を捏造する生き物だそうなので、私は母親を連れて誘拐された事実について、病院に一緒に行ってもらい、発言をしてもらいました。)
そして私の27年間に及ぶ回避と遁走から私の本当の戦いが始まりました。
私は今50歳になり、誰かと共に生きて行きたいと願いました。誰かと共にパートナーシップを組んで歩んで行きたいと思いました。いろいろ問題はありました。他にも人生で自分がどんなにがんばってもどうしようも無い事がありました。(親の破産と一家離散:2回)
それでも一生懸命真面目に生きてきて、やっと誰かとの人生を考えられるようになったのですが、その相手となる人から
「お前を殺しに行くから」
と言われた時、私は幼児期のあのナイフを見せられた一瞬にすべてを引き戻されてしまいました。
ネットで「殺害予告」等という言葉が流行り、殺すとか、殺されるとか、相手に平気で伝えたり有名なyoutuberにストーク行為を繰り返したりする人たちを見る事があります。
本当に相手の事を思うという事は
「自分の欲求を満たす」
事とは違うという事をどうか知って欲しいと思います。
動物がサバンナで生きている様子を人間の社会と考えて貰えればわかると思います。生きる為にはどうしようもなく衝突も生まれます。しかし基本的に彼らは生きる為にしか狩りをしません。
自分の欲求を満たす為だけに他人を利用する…。特に男性にこうゆう考えを無意識に持っている人が多いのは悲しい事ですが事実です。そして社会的優位にいる男性達がこの現実に全く無関心であるという事もまた事実なのです…。(全く気づかない…)
サバンナで生きている相手をそのまま受け入れ愛する事が出来ないのなら、一緒に生きて行く為に行う事は一つです。相手の家族、相手の習慣、相手の生きている環境、相手の友人、そうした相手を構築している「世界」「社会」をぶちこわし、そして相手を捕まえて逃げてくる事です。
しかし、実は「人」とは「世界」を指す言葉でもあり、その人が持っているそうしたすべての環境並びに感情であるのです。それを愛するという事はその「世界」を受け入れる事であり、その世界を「愛する」事である事がわからないという(特に男性)が多い事に驚きます。
おばちゃんは少し前から「愛について考える」という事を命題に生きています。
私がチーターでステキな男性チーターを見つけてその人と一緒に家庭を持とうと思ったら、その人の生きてきたすべてを受け入れそしてその人の家族を受け入れ、その人の価値観、友人関係、そしていろいろなものを受け入れるのを覚悟で相手に近づきます。
その人単体を見てその人を自分の思い通りの(現家族風景:自分が子供時代過ごした勝手にそれが当然だと思いこんでいる社会秩序的現像)型にはめる事では無いという事、もしそうゆう事がわからないなら、そうゆう事を学ぶ事。
一緒に相手とそれを学ぶ事。
遠くかそっと見守るという事。
誰かががんばっているのを応援するという事。
それを自分の方を向かないから、いらないから、だから辞めてしまう。傷つけても良い。傷つけてでも自分の方を向かせようとする事。
それらは最も愛から遠い行為だとおばちゃんは考えます。
暴力は愛と対極にあるからこそ、愛に近い。しかし、誰かを自分の意のままにコントロールしようとする事は、誰かに勝手な幻想を押し付けその幻想をリアルにしようとする事は、「暴力」であり、「愛」ではありません。
- 女性だから料理が好きなんですね
- 女性的ですね。
- 家庭的な人だ
- 家事が上手でステキな人だ。
とか
- あの人(女)は○○な人で俺にこんな事をした
- あの人(女)はあの時おかしな人で一日中寝ていた。
- あの人(女)は理想が高くて、自分の履歴を次々に俺に見せてきた。
聞けばそうかと思います。
でもその人を選んだのはそしてその責任を持っているのは他ならぬ「貴方」です。
その人はそうゆう人であり、それをコントロールして自分の思い通りにしようとする事は「相手を乱用(アビューズ)し自分の思い通りにし、自分の意のままにするという事です。」
愛するという事は、人の持つ多面性を受け入れる事であります。(とおばちゃんは思っている)
自分が心的外傷後ストレス障害だと知った時に、おばちゃんは海外の本をたくさん読んでいましたが、その本の中に
「チルドレン・アビューズ」
という言葉がよく使われていました。
アビューズって何だろう…日本では「幼児虐待」とよく翻訳されています。アビューズという言葉には実は「乱用」という意味もありました。「乱用」おばちゃんはこの言葉の奥深さがわかる迄に長年を要しました。
他人を自分の思い通りに乱用する事。
薬物を乱用する事
アルコールを乱用する事
それらすべては貴方が何かから逃避したい時に行う事です。
愛する人、恋人を「乱用」して自分の欲求を満たし、自分の寂しさを見たし、自分の社会欲を満たし、自分の自己承認欲求を満たす事は他者を「乱用」する事です。
しかしそれらから逃避する事もまた、愚かな事です。
私達は社会性のある「人間」です。
私達は「愛しあえる」人間です。
だからこそ、他者を「乱用」するのではなく、本当の「愛」から逃避するのではなく、共に歩みよって「考え」「譲り合い」自分と誰かの…それは友人でも、家族でも、愛する人でも良いのですが、「一緒に答えを見つけながら成長し続ける事」が最も愛に近い生き方であり、それが多分おばちゃんが目指す「愛」のある人生なんだと思います。