50歳のBBAが望む悩み事相談…。BBAに悩み事(?)というか相談が来たんで真剣に考えてみた件!#2
こんにちは^^おばちゃんです。
昨日一昨日書いた「50歳のBBAが望む悩み事相談…。BBAに悩み事(?)というか相談が来たんで真剣に考えてみた件!#1」の続きを書こうとしたのですが、ちょっと睡眠問題が爆裂していました…。
そして今日読み返して誤字脱字にショックを受けていました😨
読み返さず投稿しても誤字脱字多いのに、なんじゃこれ!(反省)でもまぁいいかなw後で今度治しますかね。
後ね、ゲーム内で一緒にプレイしているガキ大将(いい意味でそう言っています)みたいな男子に辟易してしまう問題が勃発してるんですよ…。
これでもう何度目なの?って感じですが、こちらのアラートに対して自分を貫きまくる←()(アラートというのは、そうゆう事言われると自分は嫌な気分になるんだよっていう牽制ですね。これ気づかずに繰り返す人多し…気づかないから我慢するけど、繰り返されるとねぇ…^^;)
無自覚なんだろうと思いますが、…価値観の相違やルールの相違は話し合いで解決しないんだよね…。
見えてるものが違う世界にいるので、向こうは多分全然こちらの意図している事を理解してないんだろうなぁ…って思います。
たかがゲームされどゲーム。嫌な思いをしたくなければ一人プレイすれば良いのですが、正直イヤな思いをするという事は学びがあるって事なんですよね。気づきや学びは内側からくるものと外側からくるものがあって、外側からくるものも大切だと思っています。
それなんで複数でプレイする事は社会の縮図だし大事だと思っているのですが、わかり会えない人にルールや価値観を強要(され続ける)というのはねぇ…(みなまで言いません)
そしてねそうゆう人にありがちなのが、自分のルールを理解出来ない事を「バカ」にするのよ。(お前のルールがなんぼのもんじゃ!?って思いますよ…)ものを見ている「目」も違えば、考えてる「脳」も違う訳なので、分からない事を率直に聞く事を辞めてはいけないとおばちゃんは考えています。
彼には彼の正義とルールがあるのだろうとは思いますが、もう何度も「アラート」を出しても、自分の正義(という名の自分勝手なルール)を貫いてくる、彼の自分の問題点を振り返らない態度が正直面倒臭くなったのと、自律神経が弱い←()ので、それで悪化してもバカバカしいというのもあり…クラン抜けたりしてました。
さて、続き考えて行こうと思います。(愚痴になっちゃったよスマソン)
以下目次ね
前回迄のまとめ
簡単に前回迄のまとめを書いて行きます。
- 年下男子「メンタル君」と2週間に1回真剣な「人生」や「生き方」について語りあっている。
- 「メンタル君」は10年間面倒を見てきた10歳年下の女子がいた
- 「メンタル君」は10年間搾取され続けて来たがあんまり気づいてなかった
- 「メンタル君」から搾取した女性人は自己内の価値観が全く成長していない人だった
って事をまあ偏見にみちみちた状態で、色々詳しく書きました。
メンタル君からの質問
という訳でね、まあ話をしたりして、2ヶ月位経ったのかな。やっとこさメンタル君も普通の生活に戻ってきて、焦燥感もなくなってきて、随分と落ち着いて来たみたいだったんですね。
そしてね、おばちゃんは質問された訳です。
メンタル君は時々自分が何もかもがイヤになって、自暴自棄みたいになってすべてを投げ出してしまったり、問題を「笑い」😁に持って行ってしまう事がある…それはどうしてだろうか?と。
そうして、そうゆう自分をとても「嫌だ」と感じているようでした。
それでねメンタル君はなんで自分はね、そうしちゃうのかな?って悩んでいたんですよ。
おばちゃんが感じた答え
世の中ってのは、すごくバランス感覚が必要で、バランス感覚の欠如は死を招くのでは無いかなとおばちゃんは最近考える機会がありました。
これは実は「コナンエグザイル」という残虐きわまりないゲームをしていて感じた事なんですけどね。舞台は流浪の地あの「ロバート・E・ハワード」原作の「英雄コナン」の物語の世界です。
でね、相当過酷なので、とりあえず生き続ける為の「ノウハウ」が必要なのですが、人生は一回きりな訳ですよ。
漫画本にね『All You Need Is Kill』ってのがあって、これはトム・クルーズ主演で映画化もされた作品なのですが(漫画の方が出来が良かった)何度も死に目にあって、死んで死なないように生き続けて世界を救う(だったけか?)話なんですけどね、人間は死んだら終わりで、他人が死んだのを見て、「ああこれはやったら駄目なんだな」と学んだりする訳ですよ…_| ̄|○
でね、ゲームやってても思うんだけど、この「バランス」感覚って相当大事なんだなって思うんだよね。
- 簡単に逃げ出す人←(まあおばちゃんはこの傾向強しなんですが)
- 頑張って耐える人
まあ両極端のこうゆう人たちがいたとして、どっちが偉いのかなって考えたり、どっちが生きて行くのに正解なのかな?って考えたりするけどね、要はバランスなんですよ。
頑張って耐えて耐えてうつ病になってもバカバカしいですが、簡単に逃げ出し過ぎていたら、得られるものも何も無い訳です。
でも死を彷彿とさせるほど頑張ったり、逃げ続けるのは良くない。破綻しないで生きて行くってのはバランスが必要なんです。
でもって人間の精神や体はとっても良く機能している。ちゃんとバランスを保つようになっている訳ですね。これをホメオスタシスなんて呼ぶ訳ですが、精神もバランスを維持するように出来てる。
でね、他人が
- 急に話を変える
- 維持して来た行動を変化させる
- なんか変な事をしてしまったりしている
という時はおばちゃんはですが、基本的に、その継続した事柄をやりたく無いという「アラート」なんだなって思います。継続した事柄というのは「出社」とかね「ご近所付き合い」とかですよ。
毎朝気持ち良く挨拶していた人が、なんか挨拶しなくなった。なんて時はやっぱりなにか(継続してきた)挨拶をしたくないような原因を持っているのだろうと思う訳です。なので、静かに見守るか、「元気が無いようだけど大丈夫?」と尋ねたりします。
そして、それは自分もそうなんじゃ無いかなって今回考えました。私達は「無意識」という他人のような自分を自分の中に飼って(飼われてかな?)生きています。この「無意識」とアクセスを出来るだけ取れる人と取れない人が世の中には居ます。
無意識と上手に連絡が取れる人というのは、人生が楽になりやすいです。何故なら自己の核心にある「欲求」がわかるからです。分からないものを探していくより、何がしたいか知っている人は「したい」事にたどり着くのが早い訳です。
いや…だからってね、スピリチュアル系に走って、生まれ変わる前の人格とかの影響とか探ったりしてもあんまり意味ありませんからね!(注意!)自分の事を他人から教わろうとするのが「コンビニエンス」だと言う事です。パート1でも言いましたが、自分の事を知っているのは自分なんです。
でね、その自分から、もうさ、良いよ辞めようよ。もうどうでも良いじゃん?って信号が多分メンタル君には来ていたんですよ。そしてそうゆう時にそうゆう行動を取ってしまうんじゃ無いのかなってちょっと思いました。
カウンセリング行ってカウンセラーが人生の真実を何でも答えてくれるとか、ドクターが何でも人生の問題を解決してくれると考えている人が時々いるようですが、ドクターやカウンセラーさんはあなたの人生の問題を解決するのではなく、解決する手助けをしてくれるだけです。
主体は常に自分です。
彼等の所へ行けば、何でもうまくいくとかそうゆう事はありません。それだったら、その人カウンセラーをしないでもっと人生を発展させてなんか凄い事してるんじゃ無いでしょうか?
人は搾取され続けると反発する
でね、このメンタル君は多分ね、その自分が自分の中に飼ってる「無意識」が両手を上げて、もうむりぽー!と叫んでいたので、自暴自棄な事を意に反してやってしまったりしたんだろうと思うに至りました。
10年間柳の枝が川に流されてゆらゆらと力を加えられ続けてきました。しなやかにそれに耐えて来た訳ですが、もうね、耐えられなくなってしまった訳です。ポキっと折れるか、川からしなだれてる枝を切ってでも流れと関係無い状態に持って行きたくなっても仕方ありませんよね。そしてそれがね、生きる為に必要になったという事なんだろうと思います。
この自分がもう「無理!」と感じている気持ちってすごく大事だし、かといって、嫌な事から簡単に逃げすぎてもまた何も得られないというのが人生。
バランス感覚を強く要求してくる理由の一つでもある訳ですねー!!
要するにメンタル君は多分ですが、自分のキャパを10年して、突破して来る相手にもう付き合いきれなくなって色々(こっぱずかしい)暴挙的な行動に出てしまったんだと思います。
しかしですね。この「暴挙的な行動」は内なる自分(無意識)からの警告でもあるのです。あんまりね、理不尽な状況を我慢する事なんて無いんですよ。ただバランス感覚を持って逃げなきゃいけない時には逃げれば良いんです。
追記
良く作用反作用という言葉を私は使うのですが、心のあり方や自分のあり方にもこれがあります。
あなたの毎日の行動や今まで継続していた事を周囲は理解し、それに依存(寄りかかるというか、そうゆうものだという理解)をして行動をしています。その前提が壊れると周囲の人達も自分のあり方やあなたとの関わり方を変えなくてはいけなくなります。
人は実はそれが結構面倒臭いと感じる生き物です。
そうゆう時、その人がより良い所へ向かって高みを登って行こうとしているのに、邪魔(無意識で)をする人が必ず現れます。
その人達にとったら、小さな面倒事ではありますが、相手が人生を飛躍させる為に変化する事によって自分達のルールを見直さなければならない事に直面するからです。
でもね、自分が変わろうとして躍起になっている時になにか言ってくる人がいてもね、本当に変わろうとしている人の耳にそれは雑音にしかならないんです。
「自分で決めて自分で変わろうとした。」
その人の中でそうゆう時にあるのはこの事だけなんですね。本当に変わろうとする人はね。
それは険しい道ですが、成長への階段でもあります。
そしてこの成長への階段はね、一緒続くんです。
年をとっても、精神的成長は止まりません。